五井野正 博士の情報と日本の未来
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「都会を離れた自然村の効能」より転載させていただきます。
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五井野正 博士の『七次元よりの使者』第3巻に、レベルの高い自然村が描かれている。
もちろん、無農薬とか無化学肥料とかは当たり前の話で、ここでは動物と鳥と人間が互いに共存している世界が描かれている。
小説ではあるが一部分を書き出してみる。
このお祭り広場より200m以上、上に登った所にヤギやニワトリなどの家畜が自然なままの状態で飼われていた。
広さは1万坪以上あった。
もっとも自然な形、といっても廻は柵がしてあったが、それはキツネやイタチなどの外敵から守るのと家畜が逃げない様にする為のものだった。
中は公園の様に池があったり花が咲いていたり、鳥等のさえずりが絶え間なく聞こえている。
人が入るとニワトリやアヒル等の小動物が寄ってくるし、鳥でさえ楽しげに歌う。
まるで童話の世界の様だった。
しかし、それには理由がある。
ここではニワトリなどは食料として飼っていない。
一つの自然循環の一部分の働き手として、雑木林の間に埋もれた落ち葉の下に生息する小虫を食べ、排出する糞が落ち葉を発酵させて土に栄養分として転化させ、三ヵ月位たつとそこに野菜等の作物の種を植えて生育させるのである。
人とニワトリの和である。
ニワトリが死んだ場合、丁寧に葬る。その様な気持ちがニワトリに通じるのだろうか。
ニワトリの糞は作物にとって良い栄養となり実も大きかった。
つまり、何よりも気持ちの循環を大切にしたのである。
ところがこの様な実験が様々に効果を表した。
「今日、公園を歩いていたら、鳥が俺に何かを語るようにしてさえずっていたよ」
「やあ、俺もだよ。いつものタマゴ拾いをしていたら、俺のすぐ一~二メートル位の近くにスズメが飛んできたんだよ。
そして、俺の後を一緒についてくるんだよ。嬉しかったなぁ」
その様な言葉が段々と聞かれてきた事だ。
これは何にしても大きかった。
(中略)
「許可証のことだよ。
ただここでは荷物のチェックをされるからそういうシステムなんだ。
つまり、ここからはまったくの自然の形で保存してあるから、プラスチックやゴミクズ類など、もちろんビンや空き缶類は持ち込み禁止なんだ。
その為、許可証があっても一応、荷物の検査があるんだ。
けど省略して今はしてないけどね。
もっとも中に監視員がいて、少しでもゴミ類を見つけた場合は当分の間は厳しい荷物検査が行われるよ。
だから許可証を持っている人はそのことをよく知っているから絶対に捨てないけどな」
「随分厳しいんだな」
「いや、当然なんだよ。
捨てる事自体、誰かが拾わなければならないんだ。
他人の事を考えたらそういうことはできないはずだぜ。
それに、ゴミクズを捨てて、もしニワトリやアヒルに被害を与えたら、それで人間と動物の信頼関係はおじゃんになる場合だってある。
ましてや空き缶なんかはスズの毒で土壌汚染になって公害のもとになる。
第一、ここじゃ、イエローカードに似たブルーカードを持っていなきゃあ、立ちションも厳禁なんだ」
「そりゃあ、どういう事だい」
「イエローカードは注射証明書の事だろ。
これはコレラや種痘等の危険な病原菌を持ち込まないた為に必要なことと同じく、このブルーカードは毒物を体内に持っていないという証明書なんだ」
「毒物?」
「つまり、今、我々が食べたり飲んだりしている物は人工色素とか化学肥料や農薬や合成保存剤だとか、ともかく有害なものばかり食べているだろう。
それが全部排出されないで少しづつ体内で蓄積されているんだ。
そんな身体だと糞も小便も汚染されているだろう。
せっかく、この自然な土地で農薬も化学肥料も使わないで野菜や果物をとったりしたって、結局、誰かがここで小便でもすれば、それが廻り廻ってここでとれる野菜等をみんなが食べているんだからみんなにはね返る。
それで又、小便でも」
(中略)
ここのニワトリはまったく汚染させていない状態で飼っている。
と言うのは初めはこの自然公園の下の方でヒナの時から同じく自然な形で大きく育て、そのニワトリから生まれたヒナを今度はこの大きな自然公園の方に移して育ててきているからである。
まるで業で身動き出来ない人間を惑星感移動で、あるいは大陸移動で段々と浄化させていくかつての方法に似ていた。
「ニワトリにも人間と同じく霊魂はあると思うんだ」
「そうだよ。マエダ。どんな生命にもみんな霊魂はあるよ」
「そうだよな。
だから世間じゃ、ニワトリを単なる食料あるいはカネを得る手段として鶏舎の中にたくさん飼って蛍光灯で昼夜を作ってタマゴをどんどん日に二個も生ませて死ぬまで薬づけをしたのをどんどん食わせて何とか市場に売る。
だから消化しきれないのや毒なのが体内に蓄積されてそれを我々が食べるんだからな。
人間の胃袋はニワトリよりも毒にも病原菌にも消化力も強いのかね」
「本来の人間ならまだしも今の人間は無理だね。それにブタも牛も薬づけみたいだね」
「ああ、食べ物という食べ物はな。
だが、ニワトリだってブタだって生命だと思うんだ。
だから、人間が欲の為にその様に家畜を過酷に扱えば必ずしっぺ返しを受けると思うんだ。報われない家畜の霊魂が人間に取りついて奇病や奇行をさせたり事故を起こしたりね」
「それはあるね」
「そうだろ。
だから、こうして家畜を大事にして共存共栄で生活するやり方は一つの浄化でもあると思うんだ。
それにニワトリなんか死んだらちゃんと埋葬してやるしね」
「マエダ。そこなんだ。
この事をヒマラヤの聖者達は忘れていたんだ。
真理ばかりに傾いて気持ちを忘れてしまっているんだ。
そうして何もしないで長い年月を経ているうちに今度は自分達の所にも資本主義の波が押し寄せて場所をどんどん失っているんだよ。
かつてのマヤやインカの文化の様にやがて滅びる運命にあるんだ」
という内容だが、今日では小説として特別に目新しい内容の話ではないように感じられると思うが、33年前の1980年(昭和55年)の小説である。
まだ農薬や化学肥料の野菜や果物の問題点が、現在ほど意識されていない時代の頃である。
しかも、この小説に描かれているような世界が「自然村」として実際に、西伊豆の松崎町に「若葉の里」として造られ存在していた。
ニワトリやウサギに囲まれた自然農園での生活は『ウイッピー文明』第18号(昭和55年5月17日号)などに写真入りで紹介されている。
『七次元よりの使者』を読んだ読者たちが、ここで心身共に健康になって人間らしさを取り戻していく姿は本当にうれしく、また楽しかったものである。
そして、ヒナを孵(かえ)さないと言われた人工品種の白色レグホンがここでは野生に戻ってヒナを孵し、第2世代、第3世代を生み出し、ニワトリが人を見つけると喜んで人の肩にとまってくるほどの、人間とニワトリの共存世界がここに生まれたのである。
ニワトリは何を語るか?!読者はここで食物としてのチキンを見つめるのではなく、生命としてのニワトリを見つめるのである。
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生き物と人間と自然が調和している、地上の楽園のような世界。。。
こういった生き方を、もう実践している方、いま準備をしている方も多くいらっしゃるでしょうね。
それにしても、昭和55年、まだビデオ内蔵テレビがやっと発売された頃に、こういったことを提唱していた五井野博士の先見の明は、素晴らしいの一言ですね。

