「遠い記憶・前世からの約束」さまの記事
◆城攻め◆から
未来に向かう為にこれを解消しなければ次に進めないとか、この社会の不具合を是正しなければとか、よりストイックに生きなければならない等、その思いに拘り過ぎ、自ら真実を見る「窓」を曇らせてはいませんか?
未来に移行する為には、確かに多くの変化を伴いましょう。
しかし、その変化が目に見える大きなもの、自身が「これこそ」と認知出来るものが全てでは有りません。
世界の変化はあらゆる所で起こっていますが、見えない所の方がより大きく多くの変化が起こっているのです。
有る一つの事象にのみ意識を向けていますと、その変化だけにしか集中しない為、その周りで起こっている変化に気が付かなくなってしまいます。
又変化を目に見えた大きな出来事であると決めつけてしまうと、見過ごしてしまいそうな「実は重要な極小の変化」に目が向かなくなってしまいます。
「蟻の一穴(アリのいっけつ)」と言う言葉をご存知でしょうか?
暴れ川から町を守る為に堅牢な堤防を作っても、そこにアリンコが小さな穴をあけてしまえば、その穴から水が沁み出てやがては水の流れとなってその堅牢な堤防を崩壊させてしまうと言う故事です。
今はアリンコが穴をあけている時です、そしてそのアリの巣はその堅牢と見える堤防の内部をトンネルだらけにしています。
しかし、それでも最後までこの変化は穏やかなものとして続いて行くでしょう。
一発の大きな変化と細かく小さな変化の積み重ね。
エネルギーの量はどちらも結果として同じものです。
未来に向かう人全てが「真実」を承知している訳では有りません、むしろ「何か変だな」と思いつつも、その真実の入り口にも来ていない人の方が多数でしょう。
巨大な変化はその人達を巻き込む渦となってしまいます。
天の摂理は「慈悲」そのものです。そして絶対的な「公平」です。
緩やかな変化にも重要な意味が込められている事をご今一度理解下さい。
登り道を先に歩む人に願うべきは、遅れそうになりながらも道をたどる者を振り返り慈愛を持って尾根で待つ忍耐です。
さて、この変化を別の見方「城攻め」に当てはめて見てみましょう。
正攻法を取るのであれば、堅牢な城を打ち破るために、多くの兵士と強力な武器を携え、正門から攻め込む事になります。
しかしその侵攻だけが城攻めと拘り続けていますと、力対力の泥沼になってしまいかねません。
実は今、兵士ではない村人達の手によって城の堀に土を入れ、少しずつ少しずつ気が付かない程の速度で、しかも「着実に」外堀を埋めて居る最中です。
そして気が付いた時には堀は埋め立てられ、何処からでもその城に攻め入る事の出来る突破口が出来ます。
しかし正門からの侵攻だけに拘り意識していては、今外堀を埋めている、その真の意味が分からない事になってしまいます。
また、城の者達から、実際は食料も武器弾薬も尽きかけているのに、「ここには十分の食料と武器弾薬が有る」そうアナウンスされれば侵攻にためらいも出ましょう。
しかしこちら側の忍者が城に忍び込み、そのアナウンスがはったり、虚偽である事を見抜けば、恐れ身構える事も有りません。
隠し様のない事実を知る事も必要な事です。
今多くの勇敢な人々が危険を、ものともせず真実を伝えようと活動を初めています。
その人々が、城の内部に進入した忍者の様に、憶測だけではない「物証」を元に「真実」を暴露し始めています。
見るべき所は、自分が強い拘りを持って意識を向け続ける所だけではありません。
自分が変化すると言う事は、すなわち自分を信じる事なのです。
諦めや絶望は、その自分を写す鏡を曇らせて見えないくして行きます。
城に立て篭る人々に、光の未来に向け道が開いた事を認識させ、無血開城を促し、城の中で怯える彼等の曇りを拭い、自分達もまた光りの存在である事を思い出させると言う、遠大なミッションの一過程なのです。
この城攻めは決して「戦(いくさ)」では有りません、誰も傷つけはしません。
私達もかつてこの城壁の中に幽閉され、限られた空間を与えられ、自由を拘束する膨大な規則ルールの中に生きていました。
その城から、光の翼によって城壁を超え、自由の新天地に私達は今、立っています。
この戦いは、かつて暮らしていた城を攻撃し陥落させる事ではなく、城壁を打ち砕き、中に閉じ込められた光の仲間達の解放の為の侵攻に他なりません。
そして、この城攻めの準備も整い、侵攻の開始を今私達は見ようとしています。
皆さんも是非参加してみてはいかがでしょうか。
その為の行動等不要です、自分が城壁の外に居る「ライトワーカー」と言う光の戦士である事を信じる。
今はそれだけで十分です。
そうすれば、いずれ近い内にあなたのハイヤーセルフが、適切な道にあなたを誘います。

